9章-1:主イエスの派遣
イエス様は、先に選ばれた12人の弟子たちを呼び集め、彼らに力と権威を授けて町や村へと派遣されました。その時の心得を「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません」と、命じました。これは、主の復活後、弟子たちが担う宣教の実践的な訓練を意図したものです。仏教の修業僧も托鉢しますが、その原点を見る思いがします。
イエス様は、私たちの知る限りでは、弟子たちを2回派遣しています(9:1-6と10:1-16)マタイとマルコは、それを1回に要約していますが、ルカは、それぞれを区別して記録しています。本日は、ルカが伝える一回目の派遣に限ってお話します。
ここに登場する12人は、6章で選ばれた12弟子のことです。その経緯は「イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒(アポストロス)という名をつけられた」(12-13節)と、記されています。ですから、私たちも彼らを12弟子、或いは12使徒と呼んでいます。
I. 使徒という名を与え
「弟子(マセーテース)」という言葉は、師からひたすら学び、師にならう者のことです。イエス様は、最後の晩餐の席で弟子たちの足を洗われた時「主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです」(ヨハネ13:14-15)と、言われました。
「使徒(アポストロス)」は、権威と使命を授けられて派遣される人のことです。この派遣は、今日使われている“派遣会社”とか“派遣社員”の意味とは本質的に異なります。今日の派遣社員は、受け入れ会社の都合で使われています。時には“派遣切り”使い捨てのニュアンスがあります。神の国では、派遣は極めて重大な任務を帯びています。
派遣という言葉の最高の舞台は、イエス様の自己認識です。ヨハネの福音書は、主イエスが「父なる神から遣わされた者」であると、繰り返し主張されたことを記しています。一例をあげますと、イエス様は「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです」(7:16)と、言われました。イエス様はご自分を隠して、父なる神の権威を徹底的に前面に出しています。
さらに、イエス様は「あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました」(ヨハネ17:18)と、父なる神に祈ります。これは、主イエスが弟子たちを「使徒」と任命したことに言及したものです。
キリスト教会には、幾多の迫害・殉教の歴史がありますが、苦難に直面した人々の心を支え続けたのは「神に遣わされている」との、確信と喜びでした。
使徒パウロは「私たちはキリストの使節(全権大使)なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい」(IIコリント5:20)と、勧めています。
II. 力と権威を授け
預言者イザヤは「種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える」(イザヤ55:10)と、遣わされる者への神の配慮を示しています。
イエス様も、使徒たちを派遣するに先立ち、使命遂行に必要な恵み「すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けに」なりました。この「力と権威」は、派遣のために必要で十分なものです。
3節では「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません」と、最小限度の装備で身軽に出かけるように命じています。私たちにとって、こんな旅立ちは不安でやりきれませんが、イエス様は、神の恵と、行く先々で出会う人々の善意に信頼することを教えられました。
福音宣教においては、神から「力と権威」を授からずに、心意気だけで飛び出していく者があるならば、その働きは無益です。神の「力と権威」に委ねないで、入念ではあるけれども、利己的な準備にのみ忙殺される者の努力も空しく終わります。
鎌倉時代の僧侶、吉田兼好の“徒然草”(188段)に“或る者、子を法師になして”という、興味深い話がありますのでご紹介します。彼は父親に勧められて説教師(僧侶)を志します。そこで準備が始まります。まずは“迎えに差し向けられた馬から落ちないように”と、馬術を習います“酒席にも招待されるであろう、無芸というわけにもいくまい”と歌謡も習います。そして、説教を修得するに至らなかったというのです。些か極端な事例ではありますが、兼好法師は、同僚に厳しい目を向けていたようです。
イエス様が復活し、昇天された後のことです。エルサレム神殿へ向かったペテロとヨハネとは「美しの門」の前で、生まれつき足の不自由な男に施しを求められたことがありました。その時、ペテロは“何か貰える”と期待するこの男に向かい「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」(使徒3:6)と命じ、彼を立たせました。
これについては、教会史に後日談があります。1000年以上も経た中世カソリック教会が全盛のころです。さる高名なローマ法王が“金銀は私にはないと言う時代は過ぎ去った”と、うそぶきました。すると、臨席していた高官が“「イエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言える時代も過ぎ去った”と、呟いたとか。
その頃、教会と法王の権勢は絶頂に達し、物質的には繁栄を極めていましたが、霊的には衰微していたことを物語るエピソードです(ある時、ブッシュ大統領は“アメリカはかつてないほど強い”と、豪語したことがありました)
イエス様は「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」(ルカ10:42)と、言われます。不幸なことに、今日は優先順位を決定することが難しくなっています。人は、あれもこれも欲しがります。望みがかなわないと、代わりに不安を抱えこみます。けれども、大震災や原発問題は、我々に優先順位を考えさせてくれました。
イエス様が「パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません」と、言われた背後には、イスラエル社会のホスピタリティーがありました。
イスラエルの先祖アブラハムは、旅人を懇ろに持て成したことがあります(創世記18:1-8)ヘブル書は、その出来事を引用して「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずに持て成しました」(ヘブル13:2)と教えています。もちろん、イスラエル人がいつも情け深い人ばかりではありません。旅人から略奪する連中もいました。しかし、良いサマリヤ人もいます。
イエス様が「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしを訪ねてくれた・・・あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25:35-40)と、語りかけた時、主イエスの言葉に耳を傾けていた民衆は、イスラエルの歴史的ホスピタリティーを少しは理解できる人々でした。
このように、イスラエルのホスピタリティーとは、見ず知らずの人への親切です。このような意識を持つ社会なら、弟子たちが「パンも、金も」持たずに出かけても、一歩踏み出せば、拒む人もいるでしょうが、迎え入れてくれる者もあります。そこに、神に導かれた恵みの出会いが生まれます「力と権威」とは、主の言葉に対する徹底した信頼に根ざすものです。
III. そして派遣
派遣の目的は明白です「神の国を宣べ伝え、病気を直すため」です。これは、霊的な救済と健康に代表される物質的な恵みを意味していると考えられます(この後、12節以後には5000人の給食物語がある)
8章の終わりは「イエスは、この出来事をだれにも話さないように命じられた」という言葉で結ばれていました。9章に入ると、早速「派遣・宣教」の物語が始まります。そして21節では、極めて重要なキリスト発見を、再び「このことをだれにも話さないようにと、彼らを戒めて命じ」封印されました。時期尚早だったのでしょう。それは、この活動が未だ日常化したものではなく、将来の予行演習だったからです。
本格的な使徒の派遣は、イエス様が復活された後に始まります。この時与えられた「力と権威」も、実現するためにはペンテコステの「聖霊降臨」を待たなければなりません。
使徒たちがイエス様の復活を受け入れて心をはやらせた時も、主イエスは「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい・・・聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒1:4-8)と、待つことを命じました。
何を待つのかと言えば、イエス様に代わる助け主・聖霊です「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせる」(ヨハネ16:8)と言われた、真理の御霊です。何故なら「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません」(Iコリント12:3)
とにかく、この派遣には成果がありました。6節に「十二人は出かけて行って、村から村へと回りながら、至る所で福音を宣べ伝え、病気を直した」と、記されています。
この噂は広がり、やがて、ヘロデ王の耳にも届きました。すると、彼はひどく戸惑いましたが、彼にもチャンスが巡ってきたのです。次回は、ヘロデ王の困惑を取り上げます。