ルカの福音書説教

小林和夫師
第8回

4章-3:歓迎から追放へ

ルカ福音書4章22〜30節

イエス様は郷里のナザレ村に帰ると、安息日には、いつものように会堂に行かれました(当時の会堂は、礼拝の場所であり、学校であり、地域のコミュニィティーセンターの役割を果たしていた)イエス様が途中のカペナウムでなさった御業は、既にナザレの人々に伝わり、彼らには期するところがありました。イエス様は会堂に入ると、求められてイザヤ書を朗読しました。そして、固唾を呑んでいる聴衆に向かい、開口一番「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」と、宣言されました。

この時、イエス様が語った言葉はこれだけだとは思えません。しかし、ルカはその詳細を伝えるよりも「わたしの上に主の御霊がおられる」と預言したイザヤの言葉が、その日ナザレのイエスに実現した事を強調しています。

イエス様は、これまで大工ヨセフの子として知られていましたが、エルサレムから帰ると、顔見知りの人々に向かい“自分は、イザヤの預言した神の霊を注がれた救い主だ”と、切り出したわけです。これは、真実ではありますが、危険な賭けでもあります。

人々が郷土の英雄を熱狂的に歓迎するには、それぞれ理由があります。必ずしも、尊敬や心服の証しではありません。打算的な人間は、いつでも自己中心に考えます。自分達が便乗する利用価値があるか否かを素早く計算します。

人々は、全能の神など滅多に歓迎しません。彼らが常に欲しがっているのは“アラジンのランプの精”のような全能の下僕です。人が好むのは、自分に命じる神ではありません。自分の意のままに扱える偶像を求めて已みません。ですから、富や権力を求めてやまないのです。

I. 人々の反応

この日、イエス様は「主の恵みの年が訪れた」と語りました。神の救いを待ち望んでいた人には慰めと癒しと解放の訪れです。しかし、聴衆の大多数は、イエス様の言葉が理解できずに混乱したようです。自分たちが期待したように、事態がすすまなかったからです。彼らが、先程まで勝手に皮算用していたイエス様に対する期待は、当てが外れたことに気づいたのです。それは、速やかに失望に替わりました。

22節によると「みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた『この人は、ヨセフの子ではないか』と、彼らは言った」とあります。人々を主語にする動詞が3つ使用されています。「みなイエスをほめ」「恵のことばに驚いた」そして「この人はヨセフの子ではないか」と、言った。

その時制は、いずれも「未完了(繰り返しや継続を表現する時制)」です。その状況を再現してみますと、イエス様の言葉を聞いた者たちは、しきりにほめそやしました。コンサートでアンコールを求めるような熱気が漲っています。さらに驚きを発する言葉も繰り返されました。そして、やがて潮が引くように興奮は過ぎ去り「この人は、ヨセフの子ではないか」という侮りと疑いの込められた言葉に変りました。

この変化は甚だ急です。このような変化をもたらせた原因はどこにあるのでしょうか。彼らの心にあった“私たちはイエスを知っている”という錯覚です。

私たちの日常でも、生半可な知識があると、新しい情報を謙虚に受け入れることが妨げられる場合があります。熟慮することもなく“そんな筈はない、以前はこうだった”と、カビの生えた知識を振りかざす人がいます。このように、自分の考え方と相容れないものを認めようとしない頑なさには、度し難いものがあります。

イエス様がご自分を救い主であると明言したことは、彼らにとって青天の霹靂でした。彼らの心には“慰めや希望を語るのは良いが、自分を神に遣わされたメシヤだと主張するのは、思い上がりも甚だしい”という反感がわき上がってきました。当然の成り行きかもしれません。“好い気になって。たかが大工の倅ではないか”という反感です。

他の場合なら、これは、人々の中にあるバランス感覚が働いたと理解することもできます。しかし、イエス様は、彼らの背後に“しるしを見なければ受け入れられない”という、不信仰を見抜かれました。実際、ルカ11章16節には「イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた」とあります。要するに、人間は何も知らないくせに、自己中心な判断をして已まない者のようです。

パウロは、このようなユダヤ人気質を「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します」(コリント1:22)と、指摘しています。

確かに、旧約聖書には、確信を得るために“しるし”を求めることが許されている場合があります(士師6:36-40)しかし、不変の大原則は「あなたの神である主を試みてはならない」(4:12、申命記6:16)という言葉に尽きます。もちろん、生ける神がおられる所では、自からしるしが伴います(1989年、バブル経済の真っただ中・地価高騰の狂乱時代に、キリスト信者でない地主さんの厚意で、借金なしで教会堂が与えられた北秋津キリスト教会の存在は、神の恵みのしるしだと確信しています)

“しるし”を伴う生ける神を信じていたアブラハムの子孫が、しるしを見なければ信じられない者になり下がったのは悲しむべきことです。私たちはいかがですか。しるしを見ないでも神を信頼できるアブラハムの子と言えるでしょうか。

この世の智恵は“百聞は一見にしかず”と言います。これは、容易に信ずることのできない不幸な時代の智恵です。ここには、伝達の不確かさと、媒体に対する不信感に加えて、自分の目で見る事への過信があります。

神を信頼する人々には、イエス・キリストが「見ずに信ずる者は幸いです」(ヨハネ20:29)と言われます。信ずる者は神の栄光を必ず見るからです(ヨハネ11:40)そのために、神の民に「必要なのは忍耐です」(ヘブル10:36)

II. イエス様の警告

イエス様は、人々の心にある鬱屈を洞察し「きっとあなたがたは『医者よ。自分を直せ』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう」と、言われました。こうして、主イエスは、彼らの不信仰な好奇心に警告を発しました。

私たちのイエス様は、あわれみ深い方です。頑なでもケチでも意地悪でもありません。必要ならば、頼まれなくても憐れみの手を差し伸べます。一人息子を失ったナインの寡婦の場合が好例です。主は、その母親を見てかわいそうに思い「泣かなくてもよい」(ルカ7:13)と言われました。そして、死んだ息子を生き返らせ、涙の源を拭われました。

主イエスは御力を働かせ、苦しみにあえぐ人々の為に幾度も奇跡を行いました。けれども、信頼する心も無く、いたずらに興味本位の者には、時には厳しく応じます。ヘロデ王の場合がその典型です。彼が卑しい好奇心をむき出しにした時、主イエスは彼を無視して口を開くこともしませんでした(ルカ23:9)

今日でも、多くの人々は、キリスト教に奇跡的なしるしを期待します。約束の言葉よりも、力ある業を見せてくれるなら信じられると言います。キリスト者にも同様な傾向があります。イエス様が、奇跡の効果についてどのように考えておられるのか聞いてみましょう。

ある時、イエス様は「金持ちと貧乏人ラザロ」のたとえ話(ルカ16:19-31)をされました。そこで、アブラハムの口を通して言わせます「もしモーセと預言者(旧約聖書のこと)との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない」と。奇跡的な感動は、興奮が過ぎ去ると色褪せます“喉元過ぎれば熱さを忘れる”類のものです。モーセと共に奇跡的な出エジプトの経験をしたイスラエルは、その後、不信仰と不従順を10回も繰り返したではありませんか。

ペテロは晩年、感歎の思いを込めて書いています「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです」(ペテロ1:8-9)と。

パウロもローマのキリスト信者に「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ローマ10:17)と、教えています。

この世の言葉は、絶えず書き換えられ訂正されています。口から出任せの無責任な言葉や、その場しのぎの偽りの言葉が軽々しく使われるからです。学者の精魂込めた言葉も例外ではありません。言葉の耐用年数が短く、言葉への不信が加速されています。

私たちはと言えば、3000年以上も変わらぬ神の言葉・聖書に拠って立つ者です。実に、神の言葉は永遠です。死すべき人間が、永遠の言葉に生かされているのですから感謝しようではありませんか。さらに深く聖書に根ざしてください。

III. 繰り返される歴史の中で

イエス様はナザレの人々に、預言者エリヤとエリシャの故事を引用して「イスラエルにも寡婦は多くいたが、エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです(列王17:8-16)と、言われました。また預言者エリシャの時代「イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました」(列王5:1-14)と、言われました。これは、ねじれた心には痛烈な皮肉でした。

エリヤもエリシャも、イスラエルの偉大な預言者達です。彼らが「イスラエルよりも異邦人を優先した」のは事実ですが、イスラエル至上主義者には聞き捨てなりません。選ばれた民族としての誇りを踏みにじられた思いでしょう。しかし、旧約聖書が語る事実なので抗弁もできません。残念ながら、ここに至っても、エリヤが何故サレプタに身を隠したかを内省する者はおりません。この時、エリヤはイスラエルを追われて逃げ惑い、異邦人の母娘が食すべき最後の食物で飢えを凌いでいたのです。

不幸なことですが、こんな場面でも人々は頑なな態度を変えず、最後の手段に固執するものです。主イエスの口を封じるために「これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘の崖のふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうと」暴力行為に打って出ました。

歴史は繰り返すと申しますが、ナザレの人々も先祖達と同様に、神が遣わした神のしもべを拒んで追放しました。イエス様はナザレから追放され、やがてエルサレムで拒まれ、その福音は、ユダヤ社会から閉め出されて異邦人世界に進展して行きました。

パウロはユダヤ人の為に「私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです」(ローマ10:1)と、執り成し祈ります。