3章-3:誠実を貫くヨハネ
バプテスマのヨハネは、イエス様の先駆者としてヨルダン川のほとりで活動を始めました。群衆を「マムシのすえ」と決め付けた、ヨハネの登場は鮮烈でした。人々は久々に聞く預言者の叫びに圧倒され、救いを待ち望んでいた者たちは魅了されました。
この時ヨハネは、まさに一世を風靡しましたが、長い歴史の舞台においては一陣の風、一瞬の活動でした。彼は、邪なヘロデの逆鱗に触れて間もなく投獄されました。
それでも、ヨハネが語った真実な言葉は、暗闇の支配の下で人生を諦めきっていた民衆の心を揺さぶりました。彼らは「もしかすると、この方がキリストではあるまいか・・・」と、ヨハネに期待の眼差しを向けたほどです。
I. 好評を博しても
世間は“鵜の目、鷹の目”です。自分の人気が高まる状況を見逃しません。千載一遇のチャンスとばかり、自分を誇大表示して売り込むのが常です。宗教の歴史でも、自己宣伝をする者たち、自分を“メシヤだ、神だ”と、主張する者があとを断ちません。そして、周囲を巻き込んで滅びの道を辿ります。
その点、ヨハネは別格でした。彼は好評を博しても思い上がらず、自分を見失うこともありませんでした。神と人々の前で謙虚に自分の使命を認識し、自分の後に来る方について語り、聴衆をイエス・キリストに導きました。これは、ヨハネ自身が、自分よりも「さらに力のある方」の来るのを待ち望んでいたしるしです。
ヨハネが「私などは、その方の靴の紐を解く値打ちもありません」と表明した時、彼の心は感動に震えた事でしょう(靴のひもを解くのは下僕の仕事です。日本語なら“草履取り”にも値しないということです)
ヨハネは民衆に「まむしのすえ・・・」と舌鋒鋭く迫り、人々の心を震え上がらせました。また「その方」が現れるなら「手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます」とも宣言しました。
ヨハネは裁きの警告者ですが、後に来るイエス・キリストは審判者です。ヨハネは、自分とイエス様の権威のレベルが違うことを認識して、混同することがありません。このように、ヨハネは世間から好評を博しても思い上がらず、ひたすら、主イエスの為に道を用意し、先駆者としての役割に徹しました。
19-20節は、ヨハネに関する後日談です。彼は、国主ヘロデの淫蕩な家庭生活と悪事を見逃せずに糾弾しました(この点でも、ヨハネは、アハブ王に対決した預言者エリヤに似ている)そのためにヘロデの逆恨みをかい、投獄されて後日処刑されました(マタイ14:3-11)ヨハネの生涯は短いものでしたが、闇に輝く灯火のように希望を掲げ、勇ましく高潔でした。
II. イエス様を迎えて
イエス様がヨハネのもとに来て、彼からバプテスマを受けることを求めますと、さすがに、ヨハネは躊躇しました。しかし、イエス様が「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです」(マタイ3:13〜15)と説得すると、ヨハネは承諾しました。
イエス様は、神の御子ですが、特権を高飛車に用いることは致しません。地上では、事柄が先輩から後輩へと継承されることを秩序として受け止め、ご自分もそのようになさいました。
イエス様は、自分の罪に悩む人々と共に並び、彼らと同じような順序を辿りました。この意義は、秩序を乱し、混乱に明け暮れている私達の世界に警告を発しています。
バプテスマ(洗礼)について簡略に述べておきます。今日では、信仰の告白・神との契約のしるしです。しかし、ユダヤ人にとって、神との契約は、バプテスマではなく割礼でした。
水で身を洗い清めるのは、祭司やレビ人が任職するときの定めでした(民数記8:5-6)一般の人も、宗教的に汚れているとみなされると、沐浴が必要でした。
ところで、ユダヤ人が異邦人に改宗の門戸を開いたのは、バビロン補囚後だと言われます。初めは積極的ではなかったようですが、イエス様の時代には、パリサイ人が改宗者を求めて熱心に活動する姿が描かれています(マタイ23:15)
この改宗者に求められたのが、割礼と供え物と洗礼だと言われます。歴史的には、異邦人改宗のために取り入れられた洗礼が、ヨハネにおいては悔い改めを求める象徴的な儀式となり、ユダヤ人同胞にも向けられました。悔い改めと清めの必要において、ヨハネはユダヤ人と異邦人を区別しなかったからです。
このように、ヨハネの洗礼はすべての人に等しく向けられ、罪を認識させるとともに、赦しを求めるように導く意義がありました。加えて、ユダヤ教からキリスト教への過渡的な事情もありました。すでに形骸化していたとはいえ、ユダヤ人固有の「神との契約のしるし」であった割礼に代わり、洗礼が普遍的なものとなっていくのには、イエス様が率先して洗礼を受けたことが貢献しています。もし、イエス様が洗礼を受けなかったら、割礼からの脱皮として洗礼が教会に定着するのは困難を極めたことでしょう。
人は、他人から恭しく扱われるのを喜びます。この点では、私たちも例外ではありません(人は、己にふさわしい尊敬を求めて止まないものです)しかし、イエス様はヨハネのもとに来られ、民衆の一人としてバプテスマを受けました。
イエス様の洗礼は、私たち罪人の恥と苦しみを担い、心無い人々に「罪人の友」と嘲られた生涯を辿る門出にふさわしいものと言えるでしょう。
III. 不遇の時にも
ヨハネが活動した期間は、ごく短いものでした。イエス様が登場されると、人々の関心は速やかに、ヨハネからイエス様に移り始めました。先駆者が来てお膳立てをし、本命が現れたのですから当然の成り行きです。
しかし、この推移は、ヨハネの弟子達の心を乱しました。彼らは屈辱感を覚えたようです。彼らはヨハネのもとに来て「先生。見てください。ヨルダンの向こう岸であなたといっしょにいて、あなたが証言なさったあの方が、バプテスマを授けておられます。そして、みなあの方のほうへ行きます」(ヨハネ3:26)と、やっかみ半分に訴えました。諺に“軒を貸して、母屋を取られる”と言います。彼らは、そんな心境に陥ったのでしょう。
すると、ヨハネは弟子たちに「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません・・・私は、キリストではなく、その前に遣わされた者である・・・花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。私もその喜びで満たされているのです・・・あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:27-30)と諭しました。
ヨハネは、神の摂理を従容として受け入れた人です。彼は人々の賞賛の中にあっても、奢り高ぶらず、人々から忘れかけられている時にも、妬まず羨やまずでした。
歴史の舞台は刻々と変化します。移り変わる時代環境のもとで、ヨハネの心を支えたのは、神への揺るがぬ信頼です。
日本の政界は、事あるごとに勢力分野が変わります。前の政権が失脚する度に、無難だと思われている連中が浮かび上がり、彼らも前車の失敗に学ぶことなく、同じ道を辿ることになります。世界や人生を相対的な視点からだけ見る者は、時には優越感に浸り、或いは劣等感に苛まされたりします。いずれにしても心が乱されます。
“自分の誠意や努力が報われない”と言って、不満を抱く者がいます。けれども、先人たちは“人間、万事塞翁が馬”と言いました。或いは“禍福はあざなえる縄”とも言います。人生においては、何が益となり、何が禍となるかは測り知れません。私達の経験則は、状況を軽々しく判断することを戒めてきました。
ヨハネが「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません」と口にしたとき、彼は偶然に身を委ねて諦めていたのではありません。彼は公平で慈しみ深い神を信頼して委ね、平安を得ています。そして、一見不遇と見えますが「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません」と言って、主をたたえます。彼の高潔さにあずかりたいものです。彼の高潔さは、神への絶大な信頼の賜物です。
IV. イエス様の評価
ヨハネといえども人の子です。後のことですが、彼も心を騒がせたことがありました。真理と正義に仕えるヨハネの行動は、ヘロデ王の怒りを覚悟したものでした。そして、実際に彼は投獄されました。
真理に従がって行動し、その結果、投獄されたヨハネには、イエス様の決起が遅延しているように見えました。無理もありません。ヨハネの期待は、先ずイスラエルを再建してくれる救い主にありました。国内の不正を浄化し、ローマの圧制を排除してくれる救主を待ち望んでいました。ヨハネは、自分の期待通りに事が進まないので焦燥感に駆られたようです。獄中からイエス様に使者を送り「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか」(マタイ11:3)と尋ねます。
ヨハネの生涯における、ただ一度のピンチでした。あのヨハネが疑心暗鬼にかられました。何故でしょう「救い」について、彼に先入観があったからです。
イエス様の弟子達でさえ、イエス様の復活の後で「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか」(使徒1:6)と期待しました。彼らの念頭にあった救いとは、具体的にはイスラエル国家の再興でした。ですから、ヨハネの期待が見当外れであったのは、当時としては、やむを得ないことでした。
イエス様は、このヨハネの焦燥感と苦しみを理解されました。そして、ヨハネの使者に「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです」と言付け、周囲の者には「まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です」(マタイ11:11)と、人々の目を天の御国に向けさせました。
「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした」と言われたイエス様が、ヨハネを高く評価していたことは明白です。
ヨハネに対する一般の人々の評価も忘れてはなりません。彼らは後に「ヨハネは何一つしるしを行なわなかったけれども、彼がこの方(イエス様)について話したことはみな真実であった」(ヨハネ10:41)と証言しています。欺きの言葉が氾濫する世にあって、ヨハネはまさしく燃えて輝く灯火であり「荒野で叫ぶ者の声」でした。
前回申し上げたことですが、私たちは今なお、周囲の世界に対して、先駆者ヨハネの働きを継承するものです。ヨハネと共に、イエス様を掲げているからです。