ルカの福音書説教

小林和夫師
第26回

1章-3:恐れは喜びに変わる

ルカ福音書1章26〜38節

本日の聖句は、受胎告知という劇的な場面を物語っています。この日、御使ガブリエルは、異邦人のガリラヤと呼ばれた北の寒村・ナザレを訪れ、乙女マリヤに神の遠大な計画を告知しました。

マリヤの身に何が起ころうとしているのでしょう。この日マリヤは聖霊によって身ごもり、神の御子の母となる御告げを受けました。私たちもタイムスリップし、マリヤと共に、その場面に立ち会ってみましょう。

ガブリエルは「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます」と、声をかけました。マリヤが神に選ばれ、イエス様の母となるように定められたからです。神の子が人となられたのは、この時が初めで最後です。マリヤは選ばれて母となった唯一人の女性です。これは、イスラエルが久しく待ち望んで来たメシヤの到来を告げる第一報でした。

秘められていた神の永遠の計画・御子の受肉。今やその秘密のベールが除かれようとしています。これは驚天動地のできごとです。地上では、未だ誰にも何ごとも知らされていません。神の御使いたちの驚きも、いかばかりだったことでしょう。

ガブリエルの第一声は「おめでとう(カイレ)」でした。これは、普通の挨拶の言葉ですが、直訳すれば「喜べ。マリヤ」です。ヘブル語なら、さしずめ「シャーローム」です。

御使いのメッセージは「主があなたと共におられます(ホ・キュリオス・メタ・スウ)」と簡潔ですが、この上ない祝福の言葉です。待ち望んで来た「インマヌエル」(神が私たちと共におられる)の実現する告知です。

乙女マリヤは、この挨拶をどのように受け止めたのでしょう。

I. マリヤの困惑、恐れ

天皇が被災地などを訪れると、人々は感激し、涙を浮かべて喜びます。鶴瓶さんが出演する“家族に乾杯”という番組でも、彼が地方の村々を訪れると、大方の人々はたいそう感激します“本物に会えた”と言って、自分の幸運を無邪気に喜びます。

しかしマリヤには“御使いが自分の所へ来てくれた”と言って、喜ぶ様子が見られません。むしろ「マリヤはこの言葉に、ひどく戸惑って、これは一体、何の挨拶かと考え込ん」でいます。彼女は有頂天になるどころか、言い知れぬ不安を覚え、恐れを感じています。ですから、ガブリエルのフォローが必要でした「こわがることはない(メーホボウ)マリヤ。あなたは神から恵を受けたのです」意外な成り行きではありませんか。

マリヤは神を愛し、神に知られていました。その神がマリヤに目を留め、永遠の計画に彼女を抜擢されました。これは栄光の瞬間ですが、マリヤの心に湧き上がった最初の思いは恐れでした。これは、マリヤのように清らかな乙女でも、人は神の栄光を受けるに価しないことを物語るのでしょう。

初めの人アダムは、神の言葉に背いて罪を犯したとき心に恐れを覚えました。彼は恥じて主の御顔を避け、園の木の間に身を隠し「恐れて、隠れました」(創世記3:8-10)と、告白しています。

以来「すべての人は、罪を犯したので、神の栄誉を受けることができない」(ローマ3:23)存在です。人は神を必要とし、神を慕い求めますが、同時に、罪人は神を恐れます。

マリヤも例外ではありません。マリヤが無原罪などというのは、まったくの見当違いです。このように、神から来る恵の訪れさえも、人は恐れと不安で応答する他ないのです。

この恐れから解放するのは、神がガブリエルに託したメッセージにあります。御使いはマリヤに「こわがることはない。あなたはみごもって、男の子を産みます」と伝え、さらに、その名をイエスと名付けること、この方こそ「いと高き方の子」と呼ばれると、説明しました。これほど懇ろに導かれても、マリヤが平安を取り戻したわけではありません。

II. 半信半疑のマリヤ

マリヤにも事の重大さは分かったようですが、未だ半信半疑です。神の遠大な救いの計画を聞かされ、一般論としては理解することができたでしょう。しかし、自分が選ばれて当事者となることについては、容易に納得ができません。

マリヤは弁明しました「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りません」マリヤの判断は健全で常識的です。処女降誕で有頂天にはなれません。

処女降誕を理解できない人は、この部分を神話扱いで片付けますが、これは、初めから人間の知識をはみ出していた事です。

マリヤの懐疑を正すには、神の介入が必要です。御使いは「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます」と、諄々と諭しています。

神の子の受肉と誕生を、マリヤは自分の常識で理解しようとして混乱しましたが、これは人知を越えた創造者なる神の意志でした。受け入れる他ありません。

無から世界を造られた全能の神が、そのように望み、人間の世界に割り込んで来られたのです。この神の計画を、マリヤが受け入れることが出来るように、御使は懇ろに語ります。そのために、最近マリヤの身近で起こったことを取り上げています。

「ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女と言われていた人なのに、今はもう六ヵ月です」

これは、マリヤも知っている事実です。聖霊の働きは信じる外ありません。ガブリエルは、マリヤが理解できるように導いてくれました。彼女は“エリサベツおばさんに起こった奇跡”を思い起こさせられた次第です。

マリヤの躊躇いには“自分がメシヤの母になるのは相応しくない”という、消極的な思いもあったことでしょう。しかし、彼女を取り巻く信仰者の中で、神の御業がすでに始まっている事実を見過ごすことはできません。彼女は、大いに勇気づけられたに違いありません。

ガブリエルの切り札は「神にとって不可能なことは一つもありません」と明解でした。この言葉は、いわば“伝家の宝刀”です。聞くところによると“伝家の宝刀”は抜かないものだそうですが、その昔、この宝刀は一度抜かれた事があります。イスラエル女性の鑑とされるアブラハムの妻サラを思い起こしてください。

神は、不信と焦りの中にあったサラに、同じ言葉を語りかけました(創世記18:14)このようにしてイサクの母となったサラは、イスラエルの娘たちの憧れの女性です(Iペテロ3:6)ガブリエルのマリヤに対する扱いは、まことに絶妙です。

III. 恐れは喜びに変わる

受胎告知は栄光の場面ですが、マリヤにとっては、恐れから始まった出来事です。しかし、薄紙を剥がすように懇ろに導かれて、マリヤは自分自身を神に委ねる決意に到達しました。

彼女の発した敬虔と歓喜に満ちた言葉に耳を傾けてください「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉どおりこの身になりますように」ここには、マリヤの謙遜と信頼と献身の姿が燦然と輝いています(ダ・ビンチの受胎告知とは相容れない)

マリヤの言葉に喜びの直接表現はありませんが、内なる歓喜は輝きだしています。マリヤに平安が訪れ、静かな喜びが湧き上がり、もはや恐れと不安の影は見えません。

その後マリヤは、この神秘を理解できる唯一の人エリサベツの所へ走ります。そして、エリサベツの祝福を受けて、マリヤの讃歌が溢れ出ました。それは、サムエルの母・ハンナの賛歌に倣い、ハンナの詩を超えた史上最大の讃歌です。

「わが心、主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びまつる。

その婢女の賤しきをも顧みたまえばなり。

見よ、今よりのち万世の人われを幸いとせん。

全能者、われに大いなることをなしたまえばなり・・・」(ルカ1:46-55)

恐れで始まったことが、溢れ出る喜びの歌に変わりました。今週のアドベントのメッセージを「恐れは喜びに変わる」と題した由縁です。たとえ、前途にどんな困難が待ち受けていようとも、主が共におられるなら「恐れは喜びに変わり」ます。

私は26年前のアドベントを懐かしく思い起こしています。その前年、突然の心筋梗塞で入院を余儀なくされました。幸いなことに、神様のあわれみで半年後には復職することが出来ましたが、初めから中古のプレハブ倉庫を移築した北秋津キリスト教会は、ひどくいたんでいました。雨が漏り、床が落ち、それは酷いものでした。

その年、所沢にもバブル景気の波が押し寄せて来ました。私たちは無力でしたから、ひたすら神のあわれみを求めるばかりでした。そのなかで決意したことは、何とかして、地主さんに建築許可をいただくことでした。借金能力はありませんでしたが、その決意をしたのです。

ところが、仲介者の不動産屋が親切心で反対しました“権利金も払っていない土地に、建物をたてることなど許す筈がない。そんな事を言い出したら、地主さんが心配して、すぐにでも追い出される”と、警告したものです。

教会には役員会もない時代でした。一人で教会の周りを歩きながら祈りました。半年が過ぎて、建物は傷みをましましたが、希望の光は一向に見えてきません。そこで、腹をくくりました“虎穴に入らずんば、虎児を得ず”と言うわけです。

北秋津キリスト教会がスタートした時、所沢の東口には改札口がなく、教会もありませんでした。しかし、私が就任してから3年間の間に、改札口が開かれ、教会も三つばかりスタートしました。ですから、私たちの役割は終ったのかも知れないと考えたこともあります。

そこで、不動産屋に相談することもせず、一人で地主さんを訪れ、事情を話しました。すると地主さんが“考えておきましょう”と、言われたのです。

私は大喜びで帰って来て教会員に報告しましたが、信徒は私よりも世の中を知っており“先生、それは婉曲な断りの決まり文句ですよ”と、教えてくれました。

ところがその二日後、地主さんが教会を訪れてくれました。その年のアドベントの第二週12月8日のことでした。地主さんは、会堂内を見て“これはひどいな”と言われ、それからは、会堂建築に一気に道が開かれました。結局、地主さんの新たな土地に、地主さんが銀行から借金をして、北秋津キリスト教会の会堂を建ててくださったのです。

私たちは一文無しでしたが、一銭の借金もしないで、自分たちの会堂を与えられました。1989年、地価は暴騰し、私たちには会堂計画など思いも及ばない時代でした。なまじっか、少しぐらい力があったら、その後、借金地獄に陥ったことでしょう。ただひたすら「主よあわれんでください」と思いを潜めるばかりでした。

あれは、アドベントの只中のできごとでした。私たちは、恵を携えて近づいて来られるイエス様の足音を日々聞く思いでした。クリスマスはインマヌエルの実現です「神われらと共に在ます」平安と希望を、皆さんと一緒に満喫させていただきたいと祈ります。