6章-1:安息日を聖とする
イエス様が、北辺のガリラヤで活動している間も、民衆の反応は毀誉褒貶さまざまでした。歓迎する者がおり、妬み心で傍観する者もあり、侮る者たちもいました。それでも、イエス様が病人を癒されることには、誰も文句の付けようがありません。
やがて、イエス様の活動が広がっていくと、パリサイ人をはじめとする支配階級の人々が、イエス様の言葉や行動に神経をとがらせるようになりました。
イエス様は、人目を気にすることもなく、これまで人々が軽蔑してきた取税人マタイのような男とも、躊躇うことなく食卓を共にしました。イエス様のこのような振る舞いは、支配階級の立場にあった者たちの視点から見れば、社会の秩序を乱す行為です。いわゆる“公序良俗にもとる”と言うことになります。それで彼らは、イエス様を嘲り「罪人の友」と呼んで、溜飲を下げたつもりでした。
自分が罪人であることを認識する私たちには、イエス様が罪人の友と呼ばれていることほどありがたいことはありません。しかし、傲慢不遜な彼らがこの言葉を口にするとき「罪人の友」とは、軽蔑の極みでした。
イエス様の言動は、彼らの目から見ると“モーセ以来、1000年以上も連綿として続いてきた聖なる秩序を破壊している”としか見えませんでした。ですから、彼らは“大事に至らないうちに芽を摘み取ろう”と考え、ことごとくイエス様を咎め立てるようになりました。
しかし、イエス様は前回「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません」(5:38)と言い放ち、執拗に食い下がる彼らを退けています。
本日取り上げるのは、安息日に関する問題です「新しい皮袋」の応用編とも考えられます。十戒によれば「主は、安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言され」(出エジプト記20:11)ました。しかし、歴史的なユダヤ人の生活の中で、祝福され喜びと感謝に満ちた安息日を見受けることは容易ではありません。むしろイスラエルは、安息日をいたずらに我慢を強いられ、何もできない不自由な“閉ざされた日”として受け止めてきました。
I. 安息日の聖定
安息日の聖定は、神が天地万物を6日間で造り、7日目に休まれたことに由来しています。もちろん、神がお疲れ休みを必要としたわけではありません。イエス様は「わたしの父は今に至るまで働いておられます」(ヨハネ5:17)と言われます。
安息日の聖定により、創造者は世界に秩序を与えました。安息日の恩恵は、すべての人に及ぶものです。安息日は、外国人奴隷の子どもや家畜にまで及ぶ、憐れみに満ちた完全な休養日です。過酷な奴隷労働から解放される安息日は、社会の底辺に置かれて虐げられた人々にも文字通り祝福された日です。
しかし、安息日がイスラエルの歴史の中で常に尊重されてきたわけではありません。厳正なルールはありましたが、人間の欲望はそれを自分本位に改変するのに巧みです。
抜け目のない商売人にとって、安息日は大きな誘惑でした。他の商人が休んでいる時に、自分だけ店を開けば独占市場です。農場経営者には、奴隷を安息日に働かせるなら利益が増すように見えます。人間は、自分の損得に敏感に反応する貪欲なものです。ですから、安息日規定の違反者は後を断ちませんでした。
さらに悪いことには、律法の一つの違反は、他の違反を促します(道連れにします)「十戒」は、連環のようなものです。その一つが綻びると、やがて全体の秩序が失われます。
神を畏れることを忘れ、公平や正義も損なわれていきます。そして、正義が失われると、国の衰亡が待ちかまえています。
バビロン捕囚期に生きた預言者エレミヤには、危機感がありました。エレミヤは、安息日を蔑ろにする人々に、激越な言葉を発しています「主はこう言われる、命が惜しいならば気をつけるがよい。安息日に荷をたずさえ、またはそれを持ってエルサレムの門にはいってはならない。また安息日にあなたがたの家から荷を運び出してはならない。なんのわざをもしてはならない。わたしがあなたがたの先祖に命じたように安息日を聖別して守りなさい」(17:21-27口語訳)と容赦しません。
それでも、エレミヤの言葉を顧みる者はなく、やがて、ユダはバビロンのネブカデネザルに征服されました。いわゆる“バビロン捕囚”です。この屈辱的な経験をへて、捕囚後、ユダヤ人の律法に対する厳格な姿勢が形成されたようです。
ある時代は、交戦中でも、安息日には武器を取らず、黙って殺されていくという徹底ぶりでした(その後、防衛は例外とするようになりました)
しかし、律法を厳格に守ろうとする人々の努力が、やがて硬直して、律法主義という形骸化を生じるのは皮肉なことです。イエス様の時代には、安息日を厳守する習慣は確立していましたが、それは、人々に祝福の喜びを与えるものではありませんでした。いたずらに、非人間的な抑圧を強いるものでした。
本日の聖句が、その事情を伝えています。イエス様の一行が麦畑を通っておられたとき、弟子たちは空腹を覚えたようです「弟子たちは麦の穂を摘んで、手でもみ出しては食べて」いました。あるパリサイ人がこれを見て「なぜ、あなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか」と咎めます。
ここで問題にされているのは、他人の麦畑からつまみ食いしたことではありません。神の戒めは、旅行者や貧しい者に慈悲深く「隣人の麦畑の中にはいったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない」(申命記23:25)と、行き届いた規定があります。
パリサイ人は「安息日に穂を手で摘んで(これを刈り取り作業と言い)手でもみ出した(これを脱穀作業という)のが、けしからん」と指摘します。これは、安息日に禁じられている労働だと主張します。
すると、イエス様は、彼らの誇るダビデが、サウル王の手から逃れる時、祭司しか食べてはならない「聖別されたパン」をもらって食べた故事を引用されました。
法は、秩序維持の為に与えられていますが、その目的は拘束する事ではなく、生かすためです。そして、イエス様は、ご自分の権威を「人の子は安息日の主です」と主張します。
II. 安息日を聖とする
安息日問題で、パリサイ人たちが、イエス様の言動に苛立ちを感じているのはあきらかですが、彼らの頑なさには、イエス様も我慢ができなかったようです。滅多にない事ですが、この日のイエス様は、いささか挑戦的でした。
主は、右手のなえた人を彼らの前に立たせて「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか」と問いつめます。
ペテロからの聞き書きだと言われるマルコの福音書は「イエスは怒って彼らを見回し、その心の頑ななのを嘆きながら」と、その光景を描写しています。人々が答えられずにいると、イエス様はその人に「手を伸ばしなさい」と命じて癒されました。
彼らの通常の理解は、いのちに別状のない人には、安息日に医療行為を施しませんでした。彼らは、いま改めて問い直され、自分たちの古い皮袋が誇りと共にずたずたに切り裂かれるのを感じたことでしょう。これは、自分たちの力では決してできなかった改革、新しい皮袋に切り替える絶好のチャンスでもありました。
しかし「彼らはすっかり分別を失ってしまって、イエスをどうしてやろうかと話し合った」ようです。彼らには自分たちの立場を守る事だけがすべてでした。
マルコの福音書には「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日にも主です」(マルコ2:27-28)と記されています。
「安息日は人間のために設けられたのです」とは、まさに目から鱗が落ちる思いです。しかし、この言葉だけが一人歩きする危険は常にあります。肝要なのは「人の子は安息日にも主です」という言葉を心に留めることです。
イエス様が、人々を閉塞した安息日から解放されたのは恵みです。しかし「安息日は人間のために設けられた」とは言え、安息日を自分の好き勝手に振る舞いなさいと言われたのではありません「人の子は安息日にも主です」と言っておられます。安息日は主の日です。
ユダヤ人たちは、安息日を肉体の休養日とだけ理解していたわけではありません。特にバビロン捕囚後は、彼らは安息日ごとに会堂に集まり、聖書を朗読し礼拝をする生活が習慣化しました。
使徒パウロが伝道旅行をした時、安息日ごとに各地のユダヤ人会堂を訪れたのは、そこに集まる人々にイエス・キリストを語る基盤ができていたからです。
ユダヤ人の安息日は7日目(土曜日)でしたが、使徒たちは、イエス・キリストが死人の中からよみがえられた週の初めの日(日曜日)を「主の日」と呼んで、伝統的な安息日の礼拝を早くから日曜日に移行しました。
パウロがコリント教会に書き送った手紙には「私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい」(Iコリント16:2)と書かれています。
今日でも“安息日は土曜日だ”と主張して、土曜日に礼拝をすることが聖書的だと勘違いしている人々がいますが、古い皮袋が捨てられないのでしょう。
最後に、もう一度、安息日の条文を読んでみます。「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ・・・主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された」(出エジプト記20:8-11)とあります。
安息日は聖なる日です「聖なる日」とは「主に属する日」のことです。これは人間のために備えられた日ですが、紛れもなく「主の日」です。イエス様が「人の子は安息日にも主です」と言われた通りです。ですから、私達はこの日を、主の前で聖別しなければなりません。
教会の週報などに「主の日厳守」という表現を見かけると、その熱心さが伺われますが、ユダヤ人の安息日と同じ誤りに陥らないかと危惧を感じます。
私は、主の日と礼拝を軽く考えているわけではありません。繰り返しますが、主の日は「主のものです」心を尽くし力を尽くして応えなければ、救い主イエス・キリストに申し訳ありません。しかし、それが安息日律法に縛られていた人々のようにされるなら不幸な事です。
心を尽くして「安息日を覚えて、これを聖なる日とする」時、主は約束通り、安息日を祝福に満ちたものとして下さいます。