ルカの福音書説教

小林和夫師
第38回

8章-6:主イエスの力を引き出す

ルカ福音書8章43〜48節

イエス様の一行は、ガリラヤ湖の対岸・ゲラサの地から、再び、カペナウムに戻って来ました。この小旅行の目的は、弟子たちに束の間の休息を与えるためでした。しかし、ガリラヤ湖では嵐に遭遇し、ゲラサの地では絶望的な人に巡り会い、休息どころではありませんでした。これは、いつでも何処にでも、待ったなしでイエス様の助けを必要としている人々がいることを物語っています。

40節には「イエスが帰られると、群衆は喜んで迎えた。みなイエスを待ちわびていたからである」と、民衆の歓迎ぶりが描かれています。そこに、ヤイロという人がやって来ました。早くも来訪者です。息つく暇もありません。

ヤイロは会堂の管理者ですから、日頃は、祭司や律法学者と言った権威の側にいる人です。しかし、この日「彼は、イエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来ていただきたい」と、懇願しています。これは、ただ事ではありません。彼をそこまで駆り立てて、イエス様のもとに走らせたのには余程の事情がある筈です。病名は明らかではありませんが、12才になった彼の愛娘が重篤の危機に陥っていたのです。

7章に登場したローマの百卒長は、自分が頼りにしていた下僕が危機にあった時、イエス様に使者を遣わし「ただ、おことばをください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます」と、後に語り草となるような信頼の言葉を発しました。

ヤイロは、自ら馳せつけてイエス様に懇願しています。主は彼の求めに応えて立ち上がり、周囲の者たちもゾロゾロとついて来たようです。その群衆の中に、長年病み患っていた一人の女性が紛れ込んでいました。今日は、この女性について考えてみたいと思います。

I. 不治の病を負う女性

43節に「十二年の間、長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかった」と、この女性が紹介されています。マルコの福音書は、この女性をもう少し詳しく伝えています「この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった」(マルコ5:26)

身につまされるような生々しい描写です(今日でも、病人の弱みに付け込んでインチキな治療をしたり、効果もない薬を売りつける連中が後を絶たない)

「十二年の間、長血をわずらう」とは、どんな意味を持っていたのか考えて下さい。これは血友病の類で、パレスチナによくある病気だと言われます。タルムードと呼ばれるユダヤ人の伝承には、この病気に関して11の治療法が定められています。強壮剤のようなものもありますが、中には疑わしいものがあります。例えば“ダチョウの卵を焼いた灰を、夏は麻袋に、冬は木綿の袋に入れて身につける”とか“白い雌ロバの糞の中にある未消化の大麦の粒を携行する”と言った類です。試してみたいですか。

確かに珍品ではありますが、薬効を期待できるとは思えません。しかし、外に確かな方法がなければ、溺れる者は“わらをも掴む”心境です。彼女も回復するためならどんな犠牲も厭いませんでした。それなのに、悪徳医師に振り回され「ひどい目に会わされて、自分の持ち物をみな使い果たして」しまいました。その結果、彼女の生活には、病苦に加えて貧困が覆い被さってきました。

さらに、ユダヤ社会では、出血を伴う病状を宗教的な「汚れ」と考えてきました。律法には「もし女に、月のさわりの間ではないのに、長い日数にわたって血の漏出がある場合、あるいは月のさわりの間が過ぎても漏出がある場合、その汚れた漏出のある間中、彼女は、月のさわりの間と同じく汚れる。彼女がその漏出の間中に寝る床はすべて、月のさわりのときの床のようになる。その女のすわるすべての物は、その月のさわりの間の汚れのように汚れる。これらの物にさわる者はだれでも汚れる」(レビ15:25-27)と、定められています。

ですから、間接的でも、彼女に触れる者は宗教的に汚れた者とみなされます。従って、周囲の人々は彼女に触れることを恐れ、近づくことも避けます。そして、彼女は身体的な苦痛だけではなく、貧困に加えて、精神的な苦悩も負わされていたのです。

塩野七生さんの“ローマ人の物語”第十巻は、古代ローマのインフラ整備について取り上げています。インフラと言えば、道路や橋が真っ先に思い浮かびますが、ローマ人は教育と医療にも取り組みました。医療について興味深いことが紹介されています。

その前に、ローマ人の死生観を紹介しておきます。中国人は昔から不老不死を追求してきましたが、ローマ人は概ね死を受容してきたというのです。強がりかもしれませんが、死は避けられない当たり前のことだと割り切ります。大プリニウスと呼ばれた政治家の言葉ですが、彼は“ピラミッド(巨大な墓)は、無用で馬鹿気た権力の誇示にすぎない”と、言い切っています。ローマ人の合理主義の典型です。

ですから、老人の病気や不治の病には淡々としたところがあり、医療の中心は若い人に向けられたというのです。それを裏付けるのは、ローマ軍には野戦病院がありましたが、百万都市ローマには病院がなかったことです。

このような事情を数え上げてみますと、イエス様の前に立つこの女性は、健康障害ばかりではなく、ユダヤ社会の宗教的・伝統的な偏見とローマ社会の死生観にも影響されて、その苦悩は想像以上のものがありました。

ついでながら、彼女の病苦は12年間続きました。これは、ヤイロの娘が生まれてからこのかた“蝶よ花よ”と、慈しまれてきた12年間に相当します。

II. 希望を持ち続けて

困難に直面している人の最大の敵は、望みを捨てて諦めることです。実生活の中では、時には、早々と諦めることが深手を負わない知恵でもあります。私たちも日常生活の中で、絶えず状況の判断と決断が求められています。進学・就職・結婚という大事から、旅行先や病院の選定など、予定や計画を変更しなければならないことがあります。特に、周囲の人の目に“後退する”と見える時には躊躇しますが、勇気を奮い起す必要があります。

幸いなことに、信仰の言葉は「希望は失望に終わることがありません」と、勇気付けてくれます。この世のことは何事も不確かですが、神に望みをおく者は、神が最善に導いてくださると信じて、希望を持ち続けることができます。

この女性は、12年間も患い、悪徳医師に食い物にされて来ました。状況は“厳しい”の一語に尽きます。それでも、彼女は望みを失いませんでした。彼女は、イエス様がカペナウムに戻って来られたと聞き、勇気を奮い起こして人混みの中へ出て行きました。おそらく、周囲の目を欺くために、偽装をこらしたかもしれません。

マルコは、この時の女性の心境を「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」(5:28)と、確信していたと書いています。彼女が、イエス様の情報を誰から得たのかは不明ですが、彼女のイエス様に対する信頼の厚さには驚かされます。

彼女の行為は、一見、迷信じみていますが、迷信とは明白に区別しなければなりません。彼女が必死でイエス様の着物のふさに触った時、誰が触ったか解らないほど多くの人々がイエス様を取り囲み、イエス様に触れていました。

ペテロは「先生。この大勢の人が、ひしめき合って押しているのです」と、弁明しています。敢えて申し上げますが、イエス様の衣服に神秘的な力が宿っていたわけではありません。着物そのものに神秘的な力が有るなら、多くの人がその影響を受けた筈です。彼女が信頼を寄せていたのは、着物ではなく主イエスご自身でした。

カトリック教会では、聖人遺物は今日でも恭しく扱われます。その話題の頂点にあるのが聖骸布(イエス様を墓に葬ったとき用いた布)伝説です。博物学的な興味は結構ですが、それ以上の追及は無益です(契約の箱や、アロンの杖が失われたのは神の知恵に適っている)

III. あなたの信仰があなたを救った

彼女は、イエス様に触れた時、自分の体に回復の力を感じました。彼女が願っていた通りでした。このことを誰も知りませんが、イエス様だけはご存じでした。主は「だれかが、わたしにさわったのです。わたしから力が出て行くのを感じたのだから」と、言われました。大勢の群衆の真っ直中で、誰も知らないうちに奇跡が起こっていたのです。

この時、主イエスは、何故この女性を追求されたのでしょう。彼女の立場に立ってみると、彼女は人々の前に出ることを憚っていたようです。彼女に罪はありませんが、長い生活習慣が彼女を封じ込めてきたのです。好奇心旺盛な人々の視線を浴びることは耐え難かったに違いありません。できれば、このままそっとしておいて欲しかったようです。

しかし、イエス様には別の意図がありました。前回のできごとで、悪霊から解放された人に向かって「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい」と、言われました。ここでも主は、彼女の身に起こったことを明らかにするように求めています(我が身に成されし御業を思えば・・・)

それは、彼女自身のためでした。もし、このままなら、彼女が健康を取り戻しても、人々は相変わらず偏見の眼差しを向け続けることでしょう。今日でも“過去に貼られたレッテル”に悩まされている人が少なくありません。これは、今でも私たちがしばしば耳にし、時には不用意に自ら口にすることではありませんか。

主イエスは、彼女をその過去の暗闇から引き出し、衆人環視の中で、彼女に新しい名を与えました「娘よ。あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」以来2000年、彼女の実名は知られていませんが、聖書を読む私たちの間では、彼女は“信仰によって救われた女”という綽名で知られています。

イエス様が彼女を捜し求めたのは、彼女が人々に“信仰によって業病から救われた者”と、知られるためでした。多くの群衆の中で、彼女は、唯ひとりイエス様の力を引き出した者として記念されています。

最後に「安心して行きなさい」を、英訳聖書は「Go in peace」と、訳しています。ギリシャ語原文(ポリュウオウ・エイス・エイレーネーン)を直訳すると「Go into peace」と、なります。ニュアンスの違いを感じます。

この表現は、イエス様が繰り返して用い(ルカ7:50、8:48)使徒時代には、定型句となったようです(ヤコブ2:16)その原型は旧約聖書に見られます。祭司エリは、悩めるハンナを励ましました(Iサムエル1:17)。預言者エリシャは、シリアの将軍ナアマンの躊躇を除くために「レイク・レシャローム」と、勇気付けました(II列王5:19)

イエス様は、過去が何であれ、或いは将来に何が待ち受けていようと「恐れることはない」と、励ましてくださいます。彼女の神の国への歩みも、一歩一歩、平和(平安)を目指していることを教え、勇気づけて下さったのではないでしょうか。